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プロジェクトストーリー

赤坂センタービル

KEY PERSONS 登場人物

  • 賃貸事業本部 ビル事業部 建築グループ 大岩本 健二
  • 賃貸事業本部 ビル事業部 営業グループ 奥住 恵太郎
  • 中之島営業所 米山 恵輔

CHAPTER 1:新たな歴史を刻む、社運を賭けたビッグプロジェクト。

赤坂センタービル。2013年に竣工して以来、関電不動産開発の重要物件の1つであり、ビル事業における象徴となるフラッグシップ、そして関西を中心に経営基盤を固めてきた関電不動産開発が手掛けた東京初の大型物件だ。ここでは、プロジェクトメンバーだった3人にスポットライトを当てプロジェクト成功の秘密に迫る。その開発計画の発端は2005年に遡る。

「当時、旧赤坂センタービルは竣工後約30年以上経過しており、ちょうど耐震性能への要求が高まり、耐震補強や建替えることで何かできないかを検討するところから計画が始まりました」。赤坂センタービルの建築担当であり、プロジェクトを推進していた大岩本健二は語る。「具体的にどのように建替えを進めていくのか、大枠が決まるまで2年かかりましたね。社内や社外を問わず、様々な視点や角度からと議論を重ね、最終的には関電不動産開発の単独事業として計画を進めることになりました」

ここで、後にテナント営業に尽力する奥住恵太郎がプロジェクトに参加する。「最初の仕事は、関電不動産開発が単独でビルを建設・運営していくことで利益を出せるのか、マーケットリサーチを重ねて検討していくことでした。結果的に採算が取れるという判断をして、2008年には会社として意思決定されることになりました」。関電不動産開発にとっては、これまでに経験したことのない関東でのビッグプロジェクトがこうしてスタートした。

新たなビルの建設に向けて基本計画が固まっていく時期、少し遅れて米山恵輔が設備担当に着任する。担当は電気や空調、給排水、昇降関係などビルが機能するために必要な全てにかかわる重要なポジションだ。「当時は1年目で、わからないことも多く、それこそ上司・先輩、関係各所を走り回って調べていましたね」

各担当が、関電不動産開発のマイルストーンとなるプロジェクトの実現に向けて、動き出していくのであった。

CHAPTER 2:お客様の想いを還元した完璧なビルのために。

大岩本が建築担当として、基本設計を固めるため関係各所と調整に明け暮れる中、ゆくゆくは解体される旧ビルのテナントを回っている奥住の姿があった。「もともと入居いただいていたテナント様の移転先を探して、お薦めするだけでなく、新たなビルが建った暁には戻ってきていただけるように再誘致するんです。それがこのプロジェクトのカギとなる部分でした」ビルの建て替えには約4~5年かかる。その間、一旦移転した企業が新しいビルに再入居する負担は小さくない。奥住は言う。「もちろんお客様にとって再入居する事がメリットにならなければ意味がありませんから、こちらから様々な条件を提示して交渉を進めていきました。ただ戻ってきていただける確証はあまり持てませんでしたね。お客様にもご予算やご予定がありますので、簡単に数年後の入居を決定することは難しいとわかっていました」。大岩本が続ける。「この再誘致のカギとなるのは、ビルの完成と同時に入居していただくこと。いわゆる入居テナントのための工事を新築工事と並行して進める必要があったため、お客様のニーズを早期に汲み取ることが重要でした。」

建物自体の建設を進めていく中で、内装工事も行い顧客の理想の空間を実現するオフィスビル。しかし、それを実現するためには、建設工事が完了する1~2年前までには入居はもちろん、どのような内装にするのかを決めなければならない。設備を担当していたのは米山だ。「設備の工事を行うにしても、どういった間取りで何を置くかなど、その枠が決まらないと動きようがありません。関係各所とスケジュールの調整を行いつつ、確定したところから取り掛かっていました。その間にもビルの建設は進んでいるので毎週のように図面が送られてきましたね」

お客様のためにという想いを胸に皆が必死に働いていたと、奥住は言う。「お客様に喜んでいただいてこそ事業の成功といえるので、なるべくニーズを反映したいという想いはありました。もちろん自分一人では実現できないので、上司にも同行してもらい、トップセールスのような形でお客様を回ったこともありました。その甲斐あってか、戻ってきていただけるお客様が決まり徐々にご要望をいただけましたね。ただ工事の方々にはいろいろ難しい仕事を頼んでしまいました」

建設の現場では多いときには週1回打ち合わせが行われ、建築、設備の各工事担当が協力会社と交渉を行い、工程の調整に苦闘をしていた。「外部・内部とは喧々諤々の打ち合わせでしたね(笑)ただ、やはりお客様が喜ぶビルをつくりたいという想い。それがあったから、知恵を絞ってコストを抑え、スケジュールを調整していけたんだと思います」。技術者のエゴになっては意味がないと米山は続ける。「やはり独りよがりになってはいけないんです。運用していく上で絶対に必要な部分は踏まえつつ、お客様の意見を取り入れて良いビルをつくろうという想いで、皆協力しながら自分の役割を果たしていたんだと思います」

CHAPTER 3:現場は常にイレギュラーとの闘い。コミュニケーションを武器に理想を具現化する。

建設現場では様々な想定外が生じる。大岩本は回想する。「現場で初めてわかる問題もあります。もちろん設計図通りに工事が行われているか、常に管理しながら進捗を確認しているんですが、それこそミリ単位で二次元のものを三次元にしていく作業なので、どうしても収まらない箇所がでてくるんです。そのような場合は、協力会社に技術的な意見を聞きながらも、最終的にどのように納めるか、またどのような仕上げにするかは事業主である我々に求められます」。実際に建ててみて初めてわかる不具合もある。それらを逐一修正しながら、関電不動産開発の看板を背負えるだけのクオリティを備えた物件にしていくのだ。米山にもまったく予期しなかった事案が降りかかった。「当初は、照明器具は蛍光灯を予定していたんですが、途中からLEDに設計変更することになったんです」。当時はまだ照明がLEDに移行する過渡期。米山は時間のない中、様々なビルを回り情報を集め、設計会社の意見にも耳を傾けた。最終的には導入を決定したが、米山は対応の難しさを痛感した。「意見を聞いても賛成と反対に分かれてしまって、会社の意思決定のスケジュールも考慮しなければいけなかったので苦労しました」

また、当たり前のことだが、建物は下層階からできあがっていく。そのため、工事にはタイムラグがあるのだ。テナントがどのフロアに入るかによっても工事側での対応内容は大きく変わる。誘致が決まった後も気が抜けないと奥住は語った。「どのくらいの面積で、どの場所にお客様が入居されるかは非常に重要です。上層階ならば完成までに時間がありますが、あらかじめご入居されるフロアが決まっているわけではないので、なるべく混乱が起こらないように現場やお客様とは密に情報共有をしていました」。建物をつくるにはもちろん、様々な人々の協力が欠かせない。プロジェクトの推進役として、各部署や協力会社を纏め上げた大岩本はコミュニケーションの大切さを説く。「やはり情報共有は非常に大切。信頼関係にも繋がりますし、何よりビジョンを共有するためには不可欠な要素です。不測の事態があっても進むべき方向を見失わなかったのは、しっかりと情報共有されており、チームとしてまとまっていたからだと思います」

どんなトラブルが起こっても一人ひとりが目的意識を持っていれば、対応に迷いが出ることはない。例え想定外の事象が起ころうとも、それぞれの「お客様のために」というゴールが適切な対処につながり、ビルを形づくっていったのだ。建設から4年後、抱き続けたその想いがようやく実現することとなった。

CHAPTER 4:完成から始まるストーリー。赤坂センタービルのDNAが財産になる。

2013年1月に赤坂センタービルが竣工した際。これからが勝負だと大岩本は改めて気を引き締めていた。「建てて終わりではないと思ったのが正直なところです。ビルはお客様に使っていただいてこそ、意味があるものです」それまで様々な物件を手掛けてきた彼は、プロジェクト推進者としての責任は今後も続いていくということを知っているのだ。「それこそ、赤坂センタービルが遠い将来なくなるそのときまでが仕事という気がしますね」。設備の米山にとっては初めて担当した物件だった。「入社1年目から携わってきたプロジェクトが形になったという達成感はありました。ただ設備はお客様が入居されてから本格的に稼働するので、完成したタイミングでは初期トラブルの解決のためにビル内を走り回っていました(笑)」。建物はそれを利用する人がいるからこそ意味を持つ。ビルの完成までエンドユーザーとかかわり続けてきた奥住は、赤坂センタービル竣工時の祝賀会を思い出す。「入居されたお客様が笑顔でお酒を飲んでおられる姿を見ると思わず目頭が熱くなりました。もちろん大岩本や米山が言うようにアフターフォローもしていかなければなりませんが、お客様から直に感謝を伝えられたときは、それまでの苦労が吹き飛びました」

足掛け約8年に及ぶ一大プロジェクトは、赤坂センタービルがこうして稼働することで一つの節目を迎えた。大岩本はこう語る。「関電不動産開発が初めて首都圏で行った大規模ビル事業なので、それ以前では考えられないほど入念に準備しましたね。他の大手デベロッパーをとにかく研究して、開発実績がない関東でどのようにプロジェクトを進めるべきか検討しました。まさか自分が東京で仕事をするなんて思ってもみないことだったので、日本全国に展開していく関電不動産開発という意識が芽生えたのは大きな変化ですね」

新天地でプロジェクトを推進し、関東進出への足掛かりとなる物件を無事に完成させたのである。幾多の困難を乗り越えてられた秘訣について、3人は口をそろえてチームワークだと言い切った。「関係した全員がそれぞれの立場で互いに協力しながら、与えられた責任を果たす。そして、一つの目標に向かって、常に皆で同じ方向を向いて進んでいくことが重要なんです」。そう振り返ったプロジェクトの推進者である大岩本。奥住も賛同する。「お客様に喜んでもらえる建物にするという目標は皆一緒でした。あるとき大岩本が『お客様の要望をしっかり聞いて、どんなことでも伝えてくれ』と私に言ってくれたんです。まさに信頼関係とチームワークで実現できた事業でしたね」。プロジェクト参加当時はキャリアが浅かった米山もチームワークに助けられたと語る。「自分のことだけをやるのではなく、お互いにフォローしながら取り組んでいました。良いビルをつくる同志として、現場だけでなく協力会社とも良い関係を築いていたからこそ成しえた事業だと思います」

完成から4年が経った現在も赤坂センタービルは関電不動産開発における首都圏事業のシンボルである。大岩本はこの事業の意義をこう結んだ。「やはり経験は大事なんです。新しい物件を建てる際に、これまで自分の中に蓄積してきたことは必ず財産になります。次に活かせるものを持っているということが重要なんです。これから新たに大規模な事業を進める場合も、赤坂センタービルをベンチマークとしてさらなる高みを目指すことができます。そういう点では、関電不動産開発をデベロッパーとして1段階上のレベルに飛躍させたプロジェクトでしたね」